まいにち

いろんなものの力を借りて無理やり今日を良い1日にする

24歳目前の語りっち

下書きにあったので載せてみる。(2/9に書いているぽい)途中過ぎて闇っぽいけど、帰結はハッピーだよ。ハッピーになる前に書き終わっちゃっているけど、付け足すのもなんか違うからやめておく

みんないつもありがと(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

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おそらく節目に気持ちを記すのって、誕生日迎えてからとか、誕生日前日とかのタイミングだと思うのだけど、誕生日3日前の今日、書きたくなったから、徒然なるままに書いてみる。

 

私は3姉妹の真ん中で、3人の中で一番しっかりしている自覚がある。(自分で言うのもなんだけど)しっかりしているというのは、勤勉とか頭がキレるとかではなく、親を心配させず、かつ自分の思い通りの行動が出来るって意味。ちゃっかりっていうの??

真ん中っ子って要領がよいってよく言うけど、そのステレオタイプのど真ん中を行くのが私。文句を言われないように周りを整えてやりたいことはやって、自分を満足させてきた。落ち込んで泣いたりもよくするけど、自分の気持ちの持ち上げ方もわかってる。

自分をコントロールできていることや日々の過ごし方に自負もあったし、自由に気ままになんの犠牲もなく生きているつもりだった。自分で自分の機嫌が取れて、よく笑って適度に泣いて、ナチュラルに人生楽しんでる私、って思っていたけれど、実は無意識化で凄まじいルールの下で動いていてどんどん自分に着せる鎧が屈強に頑丈になっていたことに2023年で気が付いた。

 

よく考えると、まったくもって自分がない。その場その場でどうふるまえばいいかはだいたい分かる。でも自分が今どうしたいか、っていう気持ちが全然湧いてこない。会社の人とか学校同じだった人とかは、私のことを主張強いと思っていると思うけど、それも場の立ち回りの一面名だけ。どのコミュニティの自分も、よく見ると全部偽りに感じる。でも素がどこにもない。作りこまれた「自由気まま」

 

自分を作りこむ(客観的に見ながらふるまいを調整すること)ことをせず、素を出すことが怖かったんだと思う。だから同い年のコミュニティがあまり得意じゃないんだ。横並びの友達って、きっと素を出し合って共鳴していくものだから。

何で怖いんだろう?嫌われたり何か自分をマイナスに思われることが嫌なのかなあ。だから何も波風立てず、すべてを上手くやってマイナスな気持ちが起きないようにコントロールしてきた。

 

大切な人生の中で自分はできるだけ傷つきたくないし、誰かを傷つけるのもいや。だから自分のコントロール下におけないものは、何も持ちたくない。自分の人生の中に予測不可能なものがあると、その私の唯一のオアシスである「自分の人生」がゆらいじゃうから。

 

こうやって書いていても泣きそうになるくらいだから、何かトリガーがあるの。確実じゃないけど、たぶん中高生の時に両親が離婚したり、家族の中がごちゃごちゃしたり、

 

社会人になってから、お互いに大切に思い合えることが当たり前のようになっている存在の人ができた。私は、他人と共存することで今まで積み上げてきた自分像が崩れる可能性と、新たな大切な大きい存在ができてしまうと、万が一失ったときに自分をコントロールできなくなる可能性があることが怖くて鎧をはがせなかった

自分を常に律して、頑張って立っていないと普通に立つことが出来ない